岳学

感じたこと、思ったことを忘れないように綴っております。妄言かもしれません。

恩人のように生きたい。

人は誰しも恩を受けたことはあるだろう。

恩を受けた時ほどの、この上ない幸せはない。

人の好意ほど、有り難いものはない。

 

人は誰しもこうありたいと思う人物像を、描いているのではないだろうか。

歴史上の人物。

現在の有名人。

もしくは身近な人かもしれない。

 

私の場合、こうありたいと思う人物にまず恩人を上げる。

恩人は私を幸福にさせてくれた。

人を幸福にさせることができる。

これ以上の理想像はないのではないか。

そう思われる好意ができる人間に私はなりたい。

 

どんなことでもいい、恩を受けたなら見習ってみよう。

 

手を差し伸べ、そのことを忘れる。

恩人は見返りを求めてやっていないからだ。

 

自分のお手本はすぐ側にいる。

お手本を見習って、他人にしてあげよう。

受けた恩を繋いでいこう。

 

私も恩人のように、人に手を差し伸べられる人間になりたい。

何が大切か。それは今、この刹那じゃないか。

もし今、一番大事なものを問われたら、何と答える。

家族のことか、自分の将来のことか、自分の社会的立場のことか、

それとも自分の趣味かもしれない。

私の場合は今、この刹那が一番大事なのもだと思う。

 

今を精一杯生きること。

今を精一杯生きて後悔しないこと。

 

家族に対しても、将来の備えにしても、仕事にしても、趣味にしても、

今を精一杯に生きることが一番大切ではないだろうか。

 

家族に精一杯の愛情表現をし、自分の将来に向けて勤勉し、

仕事でも責任を全うするまでやり、趣味もやりたいことをとことんやる。など。

やることは一杯ある。

それらを片っ端に今、やることが生きるうえで最も大切なことではないだろうか。

 

そうすることで、後悔のない充実した人生を送れるのではないだろうか。

 

後悔を生まないように今をやりきること。

つまりは今を全力で生きることが、

歳をとった時に、良い人生だったって思えるのではないだろうか。

 

良い人生なんて、歳をとってからしかわからない。

だけれども、今、この刹那でやれることをやりきって、満足すれば、

少なくとも今の人生は満足ではないか。

今の人生を満足し続ければ、歳とっても良い人生だったって思えないだろうか。

 

私は、今この時間を大切に、やれることをやりきりたい。

まずは自分だ。この考えを改めたい。

何か事が起こった時、人は自然とまず自分のことを考える。

自分のことでいっぱいになって、気づいた時には相手を傷つけている。

そんなことはないだろうか。

 

例えば。

仕事で同僚が、自分より評価されたことに嫉妬する。

車が渋滞して動けない時に、イライラを感じる。

電車が発車しようとする時に、駆け込み乗車をするなど。

 

追い詰められた時ほど、自分のことだけしか考えられない。

後になって、なんで相手のことを気遣えなかったのか。

周りの迷惑を考えられなかったのかと思うことが多い。

 

心に余裕がないのだ。 

 

だから、自分がかわいい。自分さえよければと考える。

自己中心になる。

 

相手のことを気に留める、心に余裕があれば、

お前、よかったね。

これでは、みんなも困るだろう。

こんなことすれば、みんなに迷惑がかかる。

と、優しくなれるだろう。冷静に判断ができるだろう。

 

時間に追われ、ストレスが蔓延している社会。

社会の圧力に、自分の心まで蝕まれる。

 

そのような中で、他人を思いやれるか。

難しい。

 

それでも、私は相手を思いやれる生き方をしたい。

相手のことを理解できる心の余裕を持ちたい。

書に学び、人に学び、自分に学ぶ。日々励むだけだ。

聞き手になる。

人と一緒にいる時は、概ね聞き手になろう。

話を最後まで聞く。

作業を止めて、顔を向けて聞く。

話の途中で遮らず、受け答えをする。

 

自分が聞き手になることで、相手の話をしたいという欲求が解消される。

人は考えや知っていることを語りたいものだ。

話を聞くことで、相手は気分を発散できる。

 

会話が無い時には、こちらから尋ねてみる。

何でもない雑談でもいい、相手の趣味についてどうだとか、

家族の様子についてどうなんだとか。

相手に話をさせて、それを聞く。

それだけでも、話する側は嬉しいものだ。

 

聞き手になるだけで、相手を気持ちよくできる。 

何も、相手の為だけではない。

 

人の考えを聞くということは、その場でしか体験できない貴重なことだ。

その場でしか思えないこと、気づけないことがあるだろう。

 

何より、相手を楽しませてあげられる自分が、嬉しくならないか。

嫌なことも、許してあげれば。

嫌だと感じた時、どうするか。

 

怒るだろうか。泣くだろうか。

嫌な顔をして、うつむくだろうか。

 

どの行動にしても、嫌だという感情を表に出すことになる。

相手にはどう伝わるだろうか。

 

嫌だという感情を表に出せば、

大方この後はいい関係には、ならないのではないだろうか。

 

相手がそういう行動をしたのは、親切のつもりで行ったのかもしれない。

相手の気持ちが高ぶって、私の立場を考えられずに行ってしまったのかもしれない。

私を諌めるために、敢えて嫌なことを言ったのかもしれない。

それとも、ただの無邪気な嫌がらせなのかもしれない。

 

だがそこで、私が相手を嫌な気持ちにさせる道理はない。

嫌だという感情を表に出さずに、

ただ、ありがとう。ごめんなさい。

と言って、相手の行動を許してあげる。

許容する心が大事ではないだろうか。

 

許容する心があれば、私は相手の行動に対して不快にはならない。

相手の行動を冷静に理解することもできる。

相手を傷つけることもない。

揉め事も少なくならないか。

 

ただ、私が許容するだけで、お互いに不快にならずに、

上手な人間関係を築けないだろうか。

 

人付き合いは宝だ。

長く、いい関係にしていきたい。

私は、相手を許せる穏やかな心を持ちたい。

わくわくすることを考えよう。

朝起きたらまず、わくわくすることを考えよう。

ストレッチなど体を動かしながらでもいい。

朝食を食べながらでもいい。

今日の楽しみを1つは考えよう。

 

例えば、仕事から帰ったらゲームをやろう。

SNSで発信しよう。

家族と1日のことについて話そう。

行きつけの店で団らんするのもいい。

部下が怒られたならば、食事に誘ってもいい。

1週間先のことを計画して、楽しみにするのもいい。

何でもいい。こういう時は子供じみた、やんちゃな考えでもいい。

 

朝起きて、ぼーとしながら仕事に行く。

そういう毎日のパターンの中から何か楽しみを考え、行動しよう。

自分とっていいことを1つでも考えよう。

 

私は朝コーヒー飲みながら、今日は何しようかなと考える。

そういうのって、よくないか。 

そうすると1日の時間が待ち遠しくて長く感じないだろうか。

 

もし昨日のことをひきつっているなら、忘れてしまえ。

兎に角、楽しいことを考えだそう。

前日をひきつるのは良くない。

 

1日の楽しみがある。

こういうのって、楽しいと思わないか。

人を染める。

人を染める。

 

教育であったり、忠告であったり、

躾であったり、メディアであったり、

または怒りや悲しみなどの感情であったり。

 

人に情報をもたらす、感情に訴えることは、

人の心をある方向へ染めることになる。

 

いい方向でもあったり、悪い方向でもある。

 

ゆえに、教師、上司、親、情報発信者など、

人の見本となるものは自分の言葉に自信を持たなければならない。

人の生き方に影響を与える。 

責任を意識しないといけない。

 

私も自分の言葉に責任を持たなければならない。

 

しかし、怒りや悲しみなどの感情については難しい。

人は感情を表現している時ほど責任を感じるわけがない。

 

それでも、子供相手には責任を持たなければならない。

子供は純粋だ。

何もかも、素直に吸収する。

ゆえに、簡単に白にも染まり、黒にも染まる。

 

子供の将来、日本の未来は我々に責任がある。