岳学

感じたこと、思ったことを忘れないように綴っております。妄言かもしれません。

人の居場所とは。

自分の居場所とは何か。

家であると答える人もいるだろう。

友人や恋人と一緒にいる時間と答える人もいるだろう。

職場が居場所と答える人もいるだろう。

 

私は思う。 

功績や立場を武器にして、ふんぞり返る場所は居場所ではない。

地域社会のことを考えず、一人で好き勝手に暮らしている場所も居場所ではない 

自分にとっては気持ちの良い居場所かもしれない。

だが、周りからしたら迷惑であり、居ては困る。

 

居場所は自分の感情だけでなんとかなる場所ではない。

周りに認められて存在する場所である。

 

自分の感情だけで居場所をつくるのは孤独と同然だ。

 

居場所は誰かに居てもいいと認められている。

自分の存在価値を相手に認めらていれる場所。

自分が居てもいいと思える場所。

安心が得られる場所。

そういう空間が自分の居場所ではないだろうか。

人と共存できて居場所がある。

 

だからこそ、人は行動を起こさなければならない。

黙り込んでいても、居場所は与えられるものではない。

人の役に立ち、相手と喜びを分かち合えてこそ居場所がある。

周りと共存して認められてこそ居場所がある。

孤独に居場所はない。

 

赤子も愛嬌を振りまいて自分の居場所をつくろうとしている。

思えば人は生きている間、自分の居場所を求め続けているのかもしれない。